2011年にイギリスのナショナルシアターで行われた舞台「フランケンシュタイン」のシアターライブ、アンコール上映が先月末から先週まで全国(といってもかなり一部)の東宝系映画館で行われていました。
前回も見逃していたので(なんてったって田舎暮らし)、重い腰を上げて行ってきました。
フランケンシュタインの物語自体にも興味はありましたが、この舞台でいちばん気になっていたのはやはり、主役のベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーの二人が博士と怪物を交互に演じるというところ。
同じ役を複数の人間が演じるというのも面白いですが、それが交互にとなればどんな風になるのかかなり興味津々。
結論から言うと、舞台全体の印象は二人が入れ替わっても思っていたより違わなかったですね。
でも、主役二人の演じるキャラクターの印象はもちろん全然違いました。
まだこの舞台を見る前のスチルやフランケンシュタインのイメージでは博士がベネディクト、怪物がジョニーのターンの方が想像しやすい気がしていました。
実際両バージョンをみた後でも、その方が収まりがいい気はします。
とはいえ、カンバーバッチの怪物、すごくよかったんですよ。それは後述するとして、まずは両博士について。
ジョニー・リー・ミラーの博士はベネディクトに比べちょっと印象が弱いかなと思わなくもないです。演技もいいんだけど、博士の影が若干薄く感じられてしまいました。放蕩息子のような雰囲気で、禁忌を犯して人間を生み出してしまうには普通っぽすぎる気がするからでしょうか。人としてではなく科学者としての欲望が勝ってしまうような狂気を感じられないというか。
しかしながら一方で、ジョニー博士のもつ人間としての弱さみたいなものが、多大に曖昧さの多い博士という人物像の行動の意味を説明する大きな要素になるのかなという思いもあります。科学者としての欲望、というよりは純粋に理想を追い求めて没頭してしまったものの、自分の生み出したものを受け入れる強さがなかった。結局、優柔不断な男なんですよ。天才のはずなのにちょっとおバカさんな感じが良さでもあり悪さでもあるのですよね。
かたやベネディクトの博士は、科学のためには諸々を犠牲にしてしまうような冷酷さや無責任さを感じさせる身勝手な男なんですが、その中でお坊ちゃん的な無垢さをにじませ、最後に怪物に語りかける時には悟りと老年な聡明さをも垣間見せるような、天才ゆえの社会不適合な様相(お家芸・笑)のある複雑なキャラクターに仕上がっていて、原作を読んだことがないので、実際博士はどんなキャラクターなのかはわかりませんが、私個人としては博士役はベネディクトの方が良かったです。全体的な印象もですが、散々身勝手なことをしてきた男がラストシーンで見せる聡明な表情、その振り幅が好きです。
では怪物はというと・・・こちらはより甲乙つけがたい。完全に好みの問題です。
上手いなと思うのは間違いなくベネディクトの方ですが、実は印象に残っている怪物はジョニーなんですよね。私は怪物がジョニーVer.を先に観たので印象が強いというのもあるかもしれませんが、ジョニーの怪物はダイナミックで、そしてなにより可愛い。
母性本能がうずくような、どこか庇護欲を駆り立てるような無垢さとあどけなさがある。劇中に「喜びとともに産まれた」というような怪物の台詞がありますが、ジョニーの怪物はまさにそんな感じ。まっさらで産まれて、捨て置かれ、虐げられながら、独学で学び、強靭な肉体と本当は聡明な頭脳をもちながら、それゆえに裏切りに対して復讐心に取りつかれ、愛を欲する、そんな生き物。複雑な心理を敢えてシンプルにかつダイナミックに表現するジョニーの怪物はなんとも可愛くて、それゆえに切ない。頭脳と情緒のアンバランスさと瞳の奥にきらめくあどけなさが印象的。
対してベネディクト演じる怪物はもっと複雑で高度な生き物。
彼の間合いの取り方と台詞回しや身体の動きの緩急の付け方は本当にうまい。
ジョニー程大ぶりな動きをしなくても意図した静寂からのアクションは観客をはっとさせ、引き込んでいく。
物語の始まり、彼が生まれたシーンで指や足の関節なんかの動きまでも気味が悪い。
ジョニーの時は苦しそうな様子に心配な気持ちでしたが、ベネディクトの時はうわわわわって感じ。
奇怪な生き物、それが最初の印象。しかしながら気味の悪さがそこはかとなくあるのに、拙いしゃべりや泥とよだれまみれな顔も汚らしさを一切感じさせない。
物語が進むにつれ怪物自体の行動は過激になるけれど、ベネディクトの怪物はどこかしらいつも冷静な雰囲気が付きまとっていて、深い英知の片鱗が瞳の奥に感じられる。
どちらの怪物も愛を欲してるけれど、ベネディクトの怪物に必要なのは単なる愛情じゃなくて、分かりあい、理解しあえることなのかも。
ベネディクトの怪物においてはシーンごとにいつも違った怪物の内面や進化がみえて、実際、かなりベネディクトの独壇場でした。
ジョニーの可愛さとはまた違い、シリアスな場面でもコミカルな動きを取り入れたり、時に見せる無邪気な表情などはとってもキュート。噛めば噛むほど味がでるような怪物。
両バージョンを観終わってみると、演じ分けも含めベネディクトの役者としてのうまさを感じましたね。
しかしながらジョニー・リー・ミラーが劣るのかというと決してそうではなくて、むしろ心動かされたはジョニーの方じゃないかと思います。怪物に涙してしまったのはジョニーの怪物の方でしたし、怪物ときいて真っ先に思い出すのはやはりジョニーの方。ただでさえ最近ジョニー・リー・ミラーが好きなのに、怪物以降は彼が可愛く見えてしかたないです(笑)
やはり、どちらのバージョンもそれぞれ面白くて、どちらがいいかなんて全く言えませんね。
舞台自体の勢いとしては(他の役者やお客さんなども含め)博士がジョニー、怪物がベネディクトバージョンの方が活気のある公演だったと思います。
しかしながらよくよく考えてみるとフランケンシュタイン博士って難しい役ですよね。単なるマッドサイエンティストではないし、神コンプレックスというわけでもない。でも大きな意味では神コンプレックスなのか?理想の人間をつくりたかったという気持ちが科学者のサガなのかなんなのか。しかも自分の創造物である怪物を産まれた瞬間から忌み嫌うというのはどういうことなんでしょう。筆舌に尽くし難い醜さのせい?でも死体を掘り起こして創り出したのは自分なのに今更って気もしますが。かたちになって初めて自分の奢りや間違いに気付いたのか。いや、それなら無責任に放り出したり、ましてや女性の怪物を創ろうなんて考えないよな。理想とのギャップに慄いたのか?
怪物の役は逆に全てがまっさらなので、チャレンジではあっても個性を出しやすい役ではないかと思いますが、博士は曖昧だけれど、行動にはかなり制限があるので、その中で観客が納得できる演技をしないといけないってのはなかなか大変。この舞台においては博士側から物語は描かれていないので、博士の心情は役者の演技から想像するしかなくて、それも面白味なんだけど、ちょっと演出の説明不足を感じたりもします。
演出云々や字幕にも突っ込みどころはあったりしますが、この二人の博士&怪物だけでも十分に観る価値ありです。面白かった!
とりあえずフランケンシュタインは一番最初の映画しかみたことないので、原作を読んでみようかと思います。